田尻の浜の予科練習生救助顕彰碑

鳴門市の島田島の田尻の浜(たじりのはま)には、大東亜戦争(第二次世界大戦)時に起こった悲劇にまつわる記念碑が建てられています。
終戦を目前に予科練習生が乗った船が米軍の飛行機に攻撃され大破、大勢の犠牲者を出しながらも辛うじて海に飛び込んだ予科練修生を地元の人が命がけで助け出したのを称え、世界の恒久平和を祈念する石碑です。

田尻の浜
田尻の浜の左側を見ると奥に小豆島が見える
田尻の浜
田尻の浜の右側には淡路島が見える
予科練習生救助顕彰碑
田尻の浜にある予科練習生救助顕彰碑
予科練習生救助顕彰碑
当時のこのあたりの漁船は木製の小さな船でかんこ船と呼ばれていた
予科練習生救助顕彰碑
予科練習生救助顕彰碑に刻まれた当時の歴史を語る文

予科練習生救助顕彰碑の全文

予科練習生救助顕彰碑
大東亜戦争(太平洋戦争)の終結を目前に控えた昭和二十年八月二日、宝塚海軍航空隊甲種飛行予科練習生ら百九名は、杉本海軍大佐指揮の下に鳴門要塞増強工事の任務を帯び鳴門市撫養港を木造機帆船住吉丸で出港し、鳴門海峡を淡路島阿那賀港に向かっていた。
正午過ぎ、鳴門市島田島の沖合約二キロに差しかかった時、米軍機二機の空襲を受け、船体は大破し、たちまちにして五十六名が戦死、生存者は鳴門海峡に飛び込み急流に翻弄されながら漂流した(十名は船に残留)。
これを知った鳴門市粟田・北泊・大島田・室の地元民が敵機の飛び交う会場を漁船で出動し必死の救助の結果十七名を救出したが、他の二十六名は若い生命を失い、計八十二名の戦死者が出た。当時、我が国は軍機保護の立場から厳しい報道管制下にあり、この悲惨な出来事は長年埋没されてきた。
近年、この史実が明らかとなり人心がすさみがちになる戦時下において、わが身の危険をも顧みず決死の覚悟で多くの生命を救った人間愛は、世の人々に深い感銘を与えた。
ここに、世界の恒久平和を祈念するとともに、慈愛に満ちた勇気ある鳴門市民の行為を後世に永く顕彰する。
平成三年十二月吉日 編消費建立実行委員会